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虫の目の希望としてのバブル

その名も「バブル」という名の本を読んだ。当時日経の証券記者だった人が書いたもの。いかにしてそれが生まれ、いかにして大きな傷跡を残したか、色々な人の思考と行動から描いている。

「鳥の目」と「虫の目」というのをなんとなく思う。

全体を引いた目、つまり「鳥の目」で見れば、国や官僚が計画経済的に企業の発展を後押しして戦後の高度成長を支えた時代から、世界の経済が連続的につながる中でその仕組みに対応せずに放置し続けた結果、壮大なツケを払う構造が見える。

この本ではしかし、どちらかというと「虫の目」、個々のプレイヤーの動機、彼らの視界にあった風景が描かれている。ひとつめはサラリーマンで、組織内での出世を目指し、立場を守ることを無意識に最善とする人。二つ目は成り上がりで、野心と勢いに生きる人。三つ目は政治家で、社会全体を考える人。

誰の心にも上の三つの要素はあるが、「目先はうまくいっている中で、理念や理論に基づいて今までにない方針をとる」ためには三つ目の政治家の視点が求められる。虫の目の中に生きながら非常に鳥の目的な視点で行動することになる。現実問題、鳥の目の視点を実践しながら組織で上に上がることは難しかったし、上の立場にたどり着いた時に鳥の目を実践するには、守るべきものが大きすぎる。

この本には大魔王は出てこない。誰もが少しの違和感を持ちながらも、きっと大丈夫だと思ってとった行動。それが互いに大丈夫だという希望を与え続け、積み重ねが限界に達したところで浴びるちょっとした冷や水が逆回転のスタートとなる。

バブルは積み上がった小市民の希望であり、魔物である。後世の、鳥の目から見ればあまりにも当たり前の失敗が当時なぜ起きたのか読み取りにくいのは、現実の人間は虫の目で生きていることを見落とすからだろう。