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NPO、職人、地元、専業主婦

NPOという概念がよくわからない。定義は調べたのでわかるし、知人にNPOな人が現れたり仕事でNPOの人と一緒になったりしているから、まったくわからないわけではない。しかし何か、腑に落ちないところがある。彼らの根っこにあるものはなんだろう。正しいことがわからない時代だから、基本的な善を目指しているんだというような説明を聞いたことがある。

数年前に、若者が職人に憧れるという話をよく目にした。将来が不安な世代だから、手に職をつけることが大切で、その象徴として職人が尊敬されるのだと、そのときは説明がついていた。いまでは、そのような分析はすこし違うのではないかというふうに思う。

で、最近の若者つながりでいうと、地元志向というのが強まっているらしい。MixiFacebookというSNSツールは、そのときどきの「学級クラス(および、そのなかの仲良し集団)」をライブなまま保存してくれる役割があるのだという。なるほど、納得できる説明だが、これも自分は背景の説明としては十分でないのではないかと感じる。

さらに女性に目を向けると、専業主婦になりたいという考えが今の女の子には増えてきているのだという。高学歴であっても、いわゆるキャリアウーマンを目指さず、お嫁さんになりたい・・・というような考え方をするんだとか。これをジェンダー論の枠組みとか、上に出てきた不景気の影響とか、上の世代が負け組キャリアウーマンとなってしまったからだとかいうけど、これも腑に落ちない。

なんというか、「見届けたい」みたいな気持ちがあるんじゃないだろうか。始まりから終わりまで、おはようからおやすみまで、自分が手をかけたものを見届けたいという気持ち。難しくいうなら全体性への回帰。いくらスケールがでっかくても、歯車は嫌だよと。見届けられるくらいのスケールがいいのだと。自分が小さく見えるのが嫌だというわけではなくて、空中に銃をぶっぱなして、いつどこで爆発しているんだか、当たってるんだか当たってないんだかわからないみたいなのは嫌だよという。ある種の手応えを求めている。

これはグローバリズムと対峙する概念だ。グローバリズムの根っこにあるのは「もっと」であり、そのために「テコ使って再生産」をする。レバレッジして、ある考えを効率よく再生産して、コストを下げて、最小の努力で最大の結果を出すためにグローバル分業をして、・・・この先はよくわからないけど、でっかい家やいいクルマを買ったりするのだろうか。いずれにせよ、トップ側にいる人は個人では使い切れないほどの名声とお金を手に入れて、ピラミッドの下層で働く人はパーツになる。

いつの時代でも若者は(上世代から叩かれつつも)全肯定されるべきだと思っているけど、今の若者は本当にすごい。ビジョナリーだとしか言いようがない。モノばかりあふれてきたけど幸福はつかめていないとか90年のバブル前後に言われていた限界を突破してしまっている。ココロの豊かさだとか昔の日本人がどうだとか、抽象的で腑に落ちない議論を一気に飛び越えて、見届けることによる手応えこそが本質的な豊かさなのだと体現している。素晴らしい。

自分もはやく、見届け系への衣替えをはじめないといけないのかもしれない。