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「構え」の使いこなし

無難なおしゃれをしている人はどうも信用ならない。なんかさわやかだけど、本当にその服を着たくて着ているのか。没個性的だし、そんなに周りに溶けこむことが大切なのか。鼻につく。もちろん自分だってそこまで目立つ格好をしているわけではないけど、自分の好きな服を着ている。こう、考えていた。

ところが仕事の事情で、ビジネスカジュアルと呼ばれる服を大量に買う必要が出てしまった。こいつは、男性社会人における「ザ・無難な格好」。スーツスタイルをカジュアルにしたようなもので、大都市ならどこにでもあるようなセレクトショップの服というのを基本パーツにしている。自分の考えとはかなり距離があった。

今の自分の考えはこう。ファッションというのは自分のためだけではなく、見られるのだから他人のためでもある。とくに女性の目を意識した場合、女性は男性に清潔感を求める。女性は怖さ、汚さ、だらしなさ、自立のなさを嫌う。なぜなら、これらの要素は子孫を残すにあたって自分をリスクに晒すものだから。そして自分のことを鑑みるに、特別なルックスをしていないのだから普通のファッションが似合うのだ。個性や自己主張など意識的にしなくても、自然と出てくるものだろう。

なんという思考の転換。もしかして、自分は進化しているのか。

それは違う。単に自分の「構え」が変わっただけだ。自分の主義主張に見えるものは、今の自分を肯定するための屁理屈にすぎない。生きたとおりに考えるな、考えたとおりに生きよ。実際のところなかなかそううまく行かない。生きたとおりに、「構え」を曲げていっている。

自分が子供の頃には体罰もあった。厳しい理不尽な部活もあった。過ぎた今ではいい思い出、そういう気持ちは正直ある。終わりよければすべてよし、いまこうしてそれなりに大人として生活しているのだから。でもそれは違う。結論に合わせて主義主張を曲げているだけだ。そういう「構え」を後から作ってしまっている。

もともとパソコンではThinkpadが大好きだった。機能を重視して、質実剛健であること。パソコンは目的のある知的作業に使うものだから、その際の道具には哲学がなければいけない。しかしこの前、お金がどうしても足りなくて、安いパソコンも検討した。「これでいいじゃん。」構えが変わった瞬間。そのあと自分の口からどんな言葉が出てくるかは予測がつく。「いまのパソコンはしょせん道具。合理的に検討して、パフォーマンスがいいものを選ぶべき。」構えが変わったなら、どんな理屈でも構成できてしまう。理屈が後からやってくる。そしていつのまにか、生まれた頃からそうであったかのような顔をする。

ブランドスイッチとは、このようにして起きるのだろう。いかにも考えてスイッチしたかのように見えるけれど、実際のところはちょっとお金が足りなかったからだとか、周りに流されてしまっただとか、ちょっと思い直してみただとか、単に選択肢として忘れていただけだとか。構えが決まってから理屈がついてくる。でもそんなことは周りに言えない。実際のところ、そうやって構えが変わったことさえ本人が気づいていないものだから、周りも騙されてしまう。

「構え」をうまく使いこなす人は、自分のなりたい「構え」を最初に決めてしまって、それを強烈に信じこむ。そうすると行動に影響してくるから、それで夢がかなうという仕組み。引き寄せの法則とかいうのも、そういうことかもしれない。考えたとおりに生きているといえば、生きている。「構え」をうまく使いこなせないと、自分がそれに振り回される。

説得が上手い人は、相手を最後まで追い詰めない。あと一歩の所で、相手に新しい「構え」を用意する。ジゴロは、女性に「強引だったから…」という言い訳を用意するために、わざと自らをならず者に仕立てる。そんな印象に近い。

「構え」を自在に使いこなす人は、ほんとうに自由な人だと思う。しかし、ちょっと恐ろしい。