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生まれ、着く、センス

前に、1万時間の訓練で習熟する、という本があった。スポーツなどの練習ものでは特に、量が質に転化するとも言われる。

5年前に、12kg太った。慌ててレコーディングダイエットに手を出した。毎日、口から入れるすべてのもののカロリーを記録していく。理想を1日1500kcal(後に1200kcal)と置いたがそれほど厳密には追わず、ただただ正確に記録することに気を配った。結果、コンビニでは最初にカロリー数値を見るようになり、理想をオーバーしてしまう日が減り始め、1年後には元の体重に戻った。口に入れた分だけ蓄えられる、そんなシンプルで論理的な人体を実感した体験だった。

3年ほど前からファッションを気にしだした。もとより好きではあったが、お洒落とはとても言えなかった。ファッション誌を見るだけではどうにもならないとわかっていたので、良いと思ったコーディネート画像を大量に集め、ファッション誌に取り上げられるような人と比較したり、世の一般の人と比較したりした。そのうちに自分の日々の格好を記録し始め、それが良いとされるものといかにずれるのか、自分が好きだと思ったものといかにずれるのかを考察しだした。今では外部評価がだいぶ上がってきた。

センスは、複雑なものに対する判断基準だ。ファッションでは色、形、素材、模様、その組み合わせ、本人との相性など多様な要素が組み合わさる。個別解はあっても一般解は導きづらい一方で、センスの良いとされる人は一瞬でそれを判断してしまう。センスは生まれつきのものと、思わず言いたくなる。

センスは簡単に言葉で表現できるものではない。複雑だからだ。だがセンスの身につけ方は表現できる。実践と記録を通じて、何が正しいのか、何が好きなのか、何が流行りなのかを自覚し続け、後に身体感覚になっていくということ。

好きなものを大量に集める。なぜそれが好きなのかを考える。共通点がなんとなくある。それを自覚した上で、正解とされるものも大量に見る。「正しい」と「好き」は重なっているところもあるが、ずれているところもある。「正しい」の中に入らない、自分の「好き」は、脇に捨てる。継続的にやっていると、「正しい」の中にも「流行」と「普遍」があることに気づいてくる。あとは実践、自分でやってみる。わかっていたつもりでも自分で実践すると思い通りにならないことが多い。それも自覚する。繰り返し続ければ、自分の中に「自分ができて、自分が好きで、正解で、流行のもの」の感覚が生まれてくる。その感覚はいつしか発展して、なにか違う感じになっている時に、違和感という形で無意識のうちに立ち上がるようになる。

人間は違和感の検出が得意だ。職人は正しく作業しているときは無意識で、失敗が入ると意識が立ち上がるという。職場に「クリエイティブ・ディレクター」という人種がいるが、彼らは必ずしも自分で案を出さない。上がってきたものに対してあり、なしの判断を下す。必ずしも理由は言わない。言えないのだろう、複雑だから。彼らは違和感検出器のようなものだ。

複雑さに対応する人間の能力はセンスであり、複雑であるほど多くの量を実践することによって身についていく。1万時間とはセンスの複雑さの表現であり、正しく実践をすれば1万時間で身に付けられるという希望でもあるのだろう。