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いい感じのビジョン・ミッション

最近はビジョンやミッションを作るのが流行っているのか、新しい企業はその種のものをきちんとホームページなんかに掲げていることが多い。個人でこれらを掲げている人もいる。なんらか思いを表明しようという気持ちがあるのだろう。ただ、たとえば「食を通じて幸せを届ける」とかだと、悪くないけどどうも真に迫らないというか、従業員も客も本気にしにくいところがあるのではなかろうか。最大公約数すぎるというか、さすがに食を通じて不幸を届けたい人はいないだろうし。

個人的なオススメとしては、本「ZERO to ONE」に書いてあった、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実は何か?」に対するその企業としての答えを書くことだ。これはかなり難しい質問である。でもこれが明確になるようなら、いい事業であると思う。たとえば「栄養補給としての食ではなく、活動投資としての食習慣を確立する」ぐらいまで踏み込んで書かれれば、かなり明確で引力のあるビジョンになるだろう。

広告屋とかが言う「コンセプト」

コンセプトとは何か?という話をするときに、「商品や企業のいいところを一言でまとめたもの」と解説されることが多い。これは違うと思う。たとえばあたらしいクルマが出て、空間の広さがウリであるときに、それを一言で表した「大空間」というのはコンセプトではない。たとえばこの場合、「移動するリビング」とかのほうがコンセプトだ。

要するにコンセプトは「これを何と見立てるか」の話である。この場合、広い空間のクルマを移動するリビングに見立てたのである。だから、広告屋にいる人にとって決定的に重要なのは見立て力である。見立てるときには必ず誰かの視点で見立てているわけだから、その視点をどこに置くかが腕の見せどころになる。

良い見立ては単に商品が欲しくなるだけではなく、目新しさと親しみやすさを両方持っていて、施策がたくさん思い浮かびそうなものであることが多い。

究極の客

いまさらだが、スティーブ・ジョブス的っていうのは何なのかと考えるに、他の経営者とかじゃなくて彼だけにありそうだなと思うのは、彼は「究極の客」になれるっていうところだと思う。世の中のユーザーに「どうですか?」「何がほしいですか?」て聞かなくても、「こういうものが良いもの」と判断できる感じ。逆に、多くの社長さんというのは、たとえば60歳の個人としての好みを超えた視点を持ちづらくて、自信を持って「俺がいいと思ったものは売れる」とは言えないだろうと思う。

じゃあジョブズが「60歳の個人としての好み」を超えた視点をどうやって持っていたのかということなのだが、自分が見ている感じで言えば、彼は「行動と予測意識」という判断軸を持っていたのではないかと思う。

iPhoneは充電プラグにつなぐと、その瞬間1秒くらいだけ大きく「○○%充電済み」と表示される。充電プラグにつなぐ時、ユーザーは無意識に「あと何%くらいか」という予測の意識を持ちながら行動する。彼はきっと、自分が無意識のうちに感じることに敏感で、どういう予測を持って動いているかというのを自分自身で把握して、それに寄り添うプロダクトを作りたかったのではないかと思う。無意識を意識するみたいな観点だと、彼が禅みたいなものを気に入っていたのには合点がいく。

彼はプロダクトではユーザーの行動や予測意識にうまく寄り添うことを目指したし、広告活動では予測をうまく裏切ることを目指したと思う(One more thingとか)。「何かある」とわかっていて、しかし驚く内容があるというのは、予測する動物であるヒトには最大のご褒美なのだ。

人生がずっと小学校のようであればなあと思う

毎日の時間割は組んであって、先生が怒ったり褒めたりしてきて、ぶつくさ言いながらも毎日通って、たまに楽しいこともある。たまにテストはあるけど順位を貼りだされたりすることもないし、その結果で生死が左右されるわけではない。生徒によりお金持ちや貧乏というのはあるけれども、学校の中にいる限りそれほど意識する必要もない。誰それは誰それが好きらしい、などという他愛もないうわさ話が流れてくる。そういうのが小学校的な世界。

優秀な個人が自分のスキルを生かして、最新のテクノロジーを使ってプロジェクトを立ち上げて、イノベーショナルなビジネスモデルを立ち上げて、人としても大きな成長をしてソーシャルグッド。理想や夢を持たないと生まれてきた意味なんてない…というのはちょっと汗臭くてご遠慮願いたい。とはいえ、こういう考え方も昔からあるわけではないから、何十年か経つと「あったね、そういうの」となっているのかもしれない。

コミュニティとノリ

いろいろ海外とか見ていると、いまの日本は消費社会としてノリが悪いと感じる。人々が「もっと、もっと」と思っているほど、消費社会としてはノリが良くなる。企業のおじさんたちが若者の動向に注目するのは、若者がノリが良いと思われているからで、特に若い女性はノリがいいと思われている。

でも最近の日本では、相対的に見れば、別に若い女性でもノリは良くない。逆にオタクとか呼ばれる人、ある特定のコミュニティの中のほうが、特定のトピックでノリ良く生きている。だからその流れに乗るように消費されることを狙う人達もいる。このような文脈って海外ではそれほど明確に見えてこなくて、むしろ日本が最先端なんじゃないかと感じることもある。

商品って以前は食べ物みたいに、個人が獲得することに大きな意味があったけれど、これからはコトバのように、なんらか共通したフォーマットで交換しあうことに絡むほうがより意味を持つものになる傾向が強まりそうだ。

弱さ・愚かさ・正義・欲

仕事でもプライベートでも頼まれごとはあるけれど、最も手伝いたくないなと思うのは、「これは正義だから」というもの(「善」でもほぼ同じ)。

世の中で間違った行いに見えるものは、元をたどると「弱さ・愚かさ・正義・欲」のどれか、あるいはその組み合わせであることがほとんどに思える。

弱さと愚かさと欲に対しては手伝う中で修正を促すことができるのだが、正義だけはそれができない。本人が正義だと思っているのだから、手がつけられない。こちらが悪であると認定されて終わりである。そして、いずれ「地獄への道は善意で舗装されている」という状況になる。

ところで、純粋な悪意というのは今までに見かけたことがない。大魔王みたいに純粋に悪意を発揮するというのはなかなか難しいものなのだろうか。

コンサルと広告代理店の違い

クライアントが「山に登りたい」と言った時に、コンサルは地図を作ってくる。地図を一緒に見つめていると、クライアントが「このルートがやっぱり合理的だよね」と言って、登るクライアントに手を振って送り出す。たまに一緒に登るタイプの人もいる。

代理店は地図というより登山プランを持ってくる。他にどんな道があったかはともかく、楽しげで良さげな登山プランを説明する。「これがあれば十分でしょ?」と、頂上から見た景色の写真を持ってくるタイプの人もいて、「まさに!」クライアントが感動することもある。