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恐怖メーター

もしもドラえもんが(神龍でもいいけど)あらわれて、好きなものを一つだけくれるとしたら何がいいだろうか。自分のためのことならいくらでも思いつくけど、そこで条件が一つ。「みんなのためになるものでなければいけない」、こうなると難しい。

ひとつアイデアがある。「恐怖メーター」。これを手に入れると、恐怖を感じたときに反応する。人類全員に配ると、これはなかなかおもしろいことになるんじゃないかと思う。

恐怖というのは、人類にとってたぶんもっとも根源的な反応だと思う。と同時に、もっとも自覚しづらく、かつ読み取りづらいものだ。こいつが可視化されたら、きっとおもしろいことになるし、なにかと円滑に回ったりするのではないか。

「若者の○○離れ」を叫んでいるおじさんがいる。ここで恐怖メーター。いい数字が出そうだ。だいたい、怒っている人というのは怖がっていることが多い。しかも、怖がっていることを自覚していない。本人が気づく前に、防衛本能が働き、しかも理屈もしっかりしているものだから、単に怖がっているだけだということに誰も気づかない。試しに「怖いんでしょ?」と言ってみよう。絶対に(もっと)怒り出す。図星だからだ。

叱られたとき。そっと恐怖メーターで測定してみる。叱った人が怖がっているだけなのか、本当にこちらのことを思って諭しているのか判定できる。何気ない会話のとき。自分の恐怖メーターが一瞬、振れる。かすかに感じた恐怖の気持ちをつかまえることで、自分が何を恐れているのかがわかってくる。仕事にも使えそうだ。新商品が顧客に否定されたとき。恐怖メーターが振れていれば、彼は何かを怖がっているのだ。もしかすると、旧商品のやり方をやっとマスターしたのに、またゼロからやり直すハメになることを恐れているのかもしれない。

恐怖にどう立ち向かうかというのは普遍的な課題だ。勇気があれば賞賛される。リスクを取って挑戦する人だって、怖いという気持ちはあるだろう。恐怖をどう克服するのか。聞いたことがあるのは、「恐怖は排除できない」ということ。本能である恐怖心を、取り除くことはできない。よしんば取り除くことが物理的に可能になったとして、その人は長生きできないだろう。痛みを感じることができない人の話を聞いたことがあるけれど、危険を察知できないから、カラダがぼろぼろになってしまうのだという。恐怖の場合もそれに近い結論が待っているだろう。

恐怖に立ち向かうたったひとつの方法は、自分が怖がっているということを自覚することらしい。自分は怖いのだと自覚し、それに冷静に対処すること。いったん意識化された恐怖は、自分から切り離されて対処すべき事柄になる。これが無自覚であると、怒りに転化したり、無自覚に足がすくんでいたりして、思うに任せぬ行動となってしまう。

正直で素直な人は伸びる印象があり、プライドだけ高いとダメだと言われる。このことにはふたつの側面があるのだろう。目上の人から見て、相手が正直で素直なら恐怖を与えてこない。逆にプライドが高ければ攻撃的に見えて、目上の人から見ても「怖い」のだ。もうひとつの側面は彼自身の問題。正直で素直な人は自分の恐怖を自覚できる(相手にも伝えられる)のだ。プライドが高いとそうはいかない。相手に恐怖を伝える前にフィルターをかけてしまうし、何より自分自身が恐れていることに気づかない。

恐怖メーター、そのうち発明されないだろうか。自分の恐怖が測定されるのだと思うと、少し微妙な気分にはなるけれども。