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消費と投資が紙一重

家族も自宅もない身ではあるけれど、最近、むしょうに別荘なるものが欲しくなっている。もともとTumblrというサービスで、世界中のキレイなインテリアを集めていたのだけど、せっかく集めたのだから自分もそういう空間を作ってみたいなあと思ったのがきっかけだ。こうなると夢が広がってきて、床はこうして、壁はこうしてと・・・別荘なのだから工事中でも帰れなくて困ることもないし、お手製サグラダ・ファミリアをやってやろうという気分になってくる。

それで、自分の予算にはまるくらいの激安な物件を見に、ちょっと田舎に行ってきた。70〜80年代くらいに開発された別荘地は、今や持ち主も高齢化して、出入りも少なくじゃっかん寂れてしまっている。管理している人も、自分みたいな比較的若い人が新陳代謝を起こしてくれることを期待しているようだ。別荘アイデアは悪くない。

見て回っていて気になったのは、「別荘おじさん」の存在である。古くなった別荘を安く買い取って、センスを生かしてキレイにリフォームして販売につなげている人がいるらしい。あくまで個人の趣味の範疇であり、どのくらい儲かっているか知らないけれど、趣味と実益が兼ねられているようでおもしろいなあ、と思って帰ってきた。

話は飛ぶけれど、優雅な奥さんなんかは家で何をしているのかというのを予備軍の女性に聞いて回ってみたら、習い事などをたしなむらしい。お茶、着付け、料理など。お金を使って習い事とは優雅なるかな、自分には縁のない世界だと思っていたが、ある程度まできわめてしまえば自分の教室を開けることにもつながるわけで、ううむ単なる無駄でもなさそうだと思う。

消費というものと投資というものは遠いところにあるようで、意外と近いところにある。好きなことを仕事にする!と力強く意気込まなくても、自分がお金を使っていることを、いつかお金になるようになんとなくつなげておくというのは悪いアイデアじゃない。ラーメンが好きで食べ歩いているなら、ラーメン評論家、ひいてはいつかのラーメン屋開業というふうにつなげておくのも悪くない。せいぜいノートを作ったり、家で味を再現するのにトライする位で十分だ。あとは店の立地や、内装などを参考にメモしていくくらいだろう。これだけで消費は投資につながってくる。

消費者、という言葉にはうさんくさいところがある。分業の中の消費を受け持つ人、という切り分け方で見てしまうと、消費以前にある文脈を見失ってしまうし(とつぜん店頭に現れて買った後消滅してしまう存在ではない)、消費自体にも何らかの投資という側面があったりする。消費だけしてればいいんでしょというような役割を押しつけられるのも腹立たしい。

逆に、投資に思えるものをむりやり消費にしてしまうという手もある。英語を学びに行くのであればそこでの出会いを楽しめるようにしてしまえばいいし、子供を産み育てるのだってなんらかのエンターテイメントに切り替えられる(誰もがやっていることだろうが)。消費は投資につなげられるし、投資は消費的に楽しめるはずだ。

ただなんとなく、お金を使って楽しみを得ているだけ。それは実にもったいない。貧乏くさいと言われるかもしれないけど、それはいつかの飯の種になるはずだし、それに全くつながらない貧弱な消費であれば、思い切って切り捨ててしまうくらいがちょうどいい。なにかと消費に後ろめたさが生まれがちな時代においては、投資であると開き直ることがいい精神安定剤になるのかもしれない。