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ミステリーとしての企画作業

国語、とくに現代文という分野の試験問題には謎が多いと思っていた。文章が掲示されて、ここで伝えようとしていること、あるいは主人公の気持ちとして当てはまるものを選べという種類の問題。このような問題で、本当に一つの模範解答があるのだろうか。

自分が受験生だったころ、最も素晴らしい見識だなと感じたのは、「問題を作っている側としては、答えがぶれるような問題を出してしまうと批判に晒される。だから、本文のここがこうなっているからこの答えしかないんだ、というものを作るしかない。そのことを理解すべき」というもの。カリスマ講師は、そう言っていた。間違いなくその通りだ。

問題のとらえ方には、パズルとミステリーがあるのだという。マルコム・グラッドウェルの著書には、足りない情報を探すのがパズル型で、逆に情報自体は十分にあるのがミステリー型だというふうに書いてあった。解くためには、パズルにおいては発信者がなんの情報を出すのかが重要で、ミステリーにおいては情報自体ではなく、解く側のスキルが重要になる。

多くのミステリーには探偵が存在している。パズルには、それはない。パズルを解くのは本人だ。ミステリーでは、探偵が解いていくのを見るのが楽しい。探偵の振るまい方は色々あれど、優れた探偵はこんな感じで解く。「いまAの状況があるならば、当然、Bの状況が生まれているはずだ。しかし、そうではない。おかしいぞ。」

探偵はびっくりするような知識を持ち出すことはない。誰でも知っているようなこと、誰でも見ればわかることを手がかりに、当たり前のことをつなげていって、引っかかるところを探す。しかし読者が感心するのは、当たり前のことをつなげていくときの角度のようなものだ。犯人の視点から世界を見ていって、問いを立てていくことが多い。

情報がたくさんあるであろうとはわかっているが、それをうまくつなげられない。今を生きる人というのは、パズルの世界よりもミステリーの世界を生きているのだろう。足りないものを集めようというよりも、その中からある視点に立って、筋道を立ててほしい。

人が、友人や知人の意見を参考にものを選ぶことが多いのは、それが信用できるからだというふうに説明されるけれど、これは専門家の信用度とは種類が違う。いってみれば友人知人は「探偵」なのだと思う。自分ではさばききれない世界をある視点でもって筋道立てて、何らかの解を出した実績を見てみたいのだ。

これからの企画作業は、パズルを作る=出す情報を選定する、ということではなくて、ミステリーを作る=状況に筋道をあたえる、探偵を派遣する、ということに近づいていくだろう。その探偵に誰を派遣し、その探偵はどの視点で筋道を作っていくのか、ということが企画のキモになるだろう。かつて現代文のカリスマ講師が「出題者の視点」から探偵となって問題をあざやかに解いて見せたように。