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メディアは必然性へ進化する

デートで「なに食べたい?」と聞かれたとき「なんでもいい」などと答えていませんか? じつはこれ、ヒントなしで店選びを期待されたような印象を与えるため、男性にかなり不評です。
男性だけでなく「『なんでもいい』と言いながら気に入らないものを作ると文句を言うんだから」という主婦の声もよく聞きます。
「なに食べたい?」の問いかけには「なにを食べるか、一緒に考えて」というニュアンスが含まれています。「どこに行きたい?」も同様に「どこに行きたいか一緒に考えよう」という気持ちがこめられているのです。(彼を困らせる デート中のNG言葉を知っていますか?

これは女性が「なんでもいい」と言って男性を困らせる事例だけど、自分は逆。「なんでもいい」と言って、相手をいつも困らせている。

「なに食べよう?」という質問に「一緒に考えよう」という意図が含まれているんだとすると、「なんでもいい」にはどういう意図が含まれているのだろうか。そのときの気分を厳密に表現すると、「この状況だと何も思いつかない、選びようがない」という感じだろうか。

そういえば最近、クチコミ系グルメサイトを使わない、というふうに決めている。サイトが不十分だというわけではなく、むしろ十分すぎるような気がしている。たくさんありすぎて、余計に迷う。そして一番困るのは、どれかを選んだところで、それよりももっといい選択肢があったかもしれない、という微妙な後悔感だ。それが嫌なので、エリアだけを思いつくまま挙げて、あとは行ってみて、5分くらいで見あたったところから直観で決めている。

店選びはうまくいったかもしれない。もしかすると、もっといい店が近くにあったかもしれない。でもそんなこと知りようもないし、実はそんなことはどうでもよかったりする。合理的に諦められることのほうがもっと重要だ。

だいたいにおいて、正しい答えが求められていることはそんなに多くない。どちらかというと、必然性のある答えが求められている。実はけっこう何でも良くて、なにか必然性があればいいのだ。そういうときに、正しいかどうかわからないけど、すぐに必然性のある(そして、変に後悔させたりしない)視野をせばめる方法を提示できるというのは、いい感じだと思う。

いま必然性が大切なんだと思う。正しさや良さではない。自分は機能的なものが好きだ。でもそれは自分が合理的な人間だからじゃない。必然性のあるものにあこがれているのだ。役目があるからそこにいる。役目があるからその形である。そうでしかありえない形。自分らしさなんて微塵も悩まない。

使い古したテントやタイヤの素材をリサイクルしたバッグが人気になったけれど、「そのデザインは、確かにそれでしかない」し、カッティングによって同じものは二つとして作れないから、人気が出ている。妙齢になると、「お見合いしてみたい」という人が男女問わず出てくる。単なる好奇心でもあるのだろうけど、これは強制された出会いの先に、何らかの必然性があるんだというところにあこがれがあるんだろうと思う。

必然性を作り出すものに、これから人は集まるんだろうなと感じる。グルーポンの秘訣を安さだと考えるのは間違いだ。あの価値は必然性にある。リコメンドの価値は、友達とか似たような人たちという姿を借りた必然性の表現である。マスメディアの効果が薄れたとか、エンゲージメントがどうのというのは、情報爆発の観点で捉えてもいいけれど、要するにメディアは必然性を強く提供するものに進化していきますということだ。

たまたまそこにあった、でもいい(空間)。いましかない、でもいい(時間)。友達の、でもいい(人間関係)。そもそもそれしかないんです、でもいい(Twitterの140字)。限定することによって必然性を高める。ラジオは生放送が多いから録画(録音)のニーズもそんなにない。これだって必然性のひとつだ。なら、テレビだって生放送を増やしてみたら?そういう考え方もある。あるCMは、実は日本で10軒の家にしか流れていないということがあったら?必然性の作り方はたくさんあるだろうし、これから、もっと必然性のあるメディアがたくさん出てくるにちがいない。