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格好良くなくても美しいこと

大切にする、という考え方は古くて新しいものだ。そして、こいつはおもしろいことに伝染する。

九州に出張したとき、ちょっと必要があって特急に乗った。シートは革張りだった。これは、と思って少し驚いたけれど、前に見たある記事を思い出した。

とにかく不良が多い町らしく、最初は革張りのシートなんて傷つけられるって大反対だったんですが、とにかくやってみましょうよということで作りました。結果的にはとても綺麗につかわれています。子供達はずっと賢くて、大人達が本気でつくったものには傷つけません。俺たちの町にこんなすごいものがあるって思ってくれるのです。プラスチックで作ったりするから傷つけたりするんですね。(地球大学クリエイティブ 第3回 水戸岡鋭治「旅の経験をデザインする」 | TAMALOG

それで、連想するのはこういう話。

人間は「豊かなものをたくさん使うこと」は"格好よく"、「不足しているものを大切にすること」は"美しい"と感じる(堺屋太一

田舎に帰ったりすると、おばあちゃんの暮らしが垣間見える。気になるのは、100均で売っているような、カラフルな、プラスチックの安い雑貨をボロボロになるまで使っていること。ボロボロなのは、手荒に扱っているからではない。もう、いつ買ったんだかわからないようなその雑貨を、丁寧に、大切にずっと使っている。真似できないなと思うとともに、作る人は大切に使われ続けることを考えもしなかっただろう、という複雑な気分になる。

本当に昔であれば、人は身の回りの物を自分の手で作っていただろう。いまは、ほとんどのものを誰かから買っていて、その作る姿を目にすることは少ない。

自分で作った、もしくは組み立てた物は他の人の手による物よりも大事にするという「IKEA効果」なるものがあるそうだ。自分で作った物はよりスキルの高い専門家が作った物と同じくらいの価値を持つようになるとのこと。(自分で作ったものは他の人が作ったものよりも大事にする「IKEA効果」 | スラッシュドット・ジャパン idle

ちょっと前に、おおざっぱにナチュラル系とか森ガール系とか呼ばれるファッション・インテリアに注目したことがあった。その特徴のひとつに、「刺繍」や「型押し」というデザイン手法がある。これらはいずれも、少し懐かしさを感じるものだ。そして重要なことは、私たちはそれを見て「これは大切に作られたものだ」ということを感じ取ることができるということである。時間をかけて丁寧に作られているかどうかは、ある範囲のものであれば我々は直感的に感じ取ることができる。

冒頭の堺屋氏の言葉を借りるなら、これからは格好良い時代ではなく、美しい時代ということになるのではないかと思う。それは言い換えるなら、物事を大切にするということだ。そして、はじめにやるべきことは、作る側の人たちがそれを本気で丁寧に大切に作るということ。そして、使う側の人たちは自分も制作の過程にどこかで参加すること。

ものを大切にするということには不思議な快感がある。これからは、「これは大切に作られています」ということをまず伝えることから始めたらどうだろう。それはおそらく、「これはよそより優れています」ということとは異なる種類の情報になるはずだ。